株式会社たかだまなみのポップであかるいメンヘラ日記(仮)

ウェブでお婿さんを募集する奇行種がお届けする、ゆるい日記です。雨が降るとメンヘラになります。婚活サードウェイブ!

イジメやDVなんて呼ばず、犯罪だと言おう【もらはら研究会】

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お世話になっております、たかだまなみです。

 

自己肯定感BARやメンヘラビッチBARなどなど、日本どこを探しても見当たらないニッチなソーシャルBARを開催して早数年。今年はハラスメントに光を当てていこうと思い立ち、もらはら研究会(略してもら研!)をオープンしました。

 

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自分の傷を話すことにより認識したり、他の人の経験を聞くことで癒しのプロセスの入り口に立つ「自助グループ」よりはもう一段階進み、「なぜハラスメントが起きるのか?」「そもそも暴力ってなに?」「加害者はどこから生まれるか」という問いを立てて社会分析をし、正解のないことに一つずつじぶんなりの答えを見つけるため、みんなで”対話”していくのが本研究室のスタイルです。

 

 

前回はもら研!キックオフとしてワイワイ盛り上がりました。私がこの企画をやりたい理由の一つは世の中にはびこる様々な種類の暴力に対し、NOと言える社会を作りたいからです。主語が「社会」だというところがポイント。例えばDVを受けている被害者が加害者を更生させることは容易ではありません。「あなた、私を殴る行為はDVで暴力、やってはいけないことよ」と正論をDV夫に言ったとしても事態は悪化するだけでしょう。

 

 

イジメにしても、パワハラにしても当事者間で解決していくのは非常に困難です。そこで重要なのが第三者の仲介です。私もDV彼氏にボコボコにされていたのを親友が間に入ってくれたり、ボコされて目がイッちゃってる私を発見した大学の学生センターの人が田舎に強制送還してくれたおかげで抜け出せました。どんだけアヘ顔してたんだろうね、、、。

 

 

味方になってくれる第三者がいれば御の字ですが、中にはそうもいかない環境に置かれている場合もあるでしょう。例えば加害者が自分よりも役職が上だったり、親だったりと、パワーバランスに差があるケース。加害者が自分の暴力に無自覚なこともあります。「誰に言ったらいいの?」「誰にもこんなこと言えない」「私さえ我慢すれば、、、」「もう何かアクションを起こす気力がない、、、」と抱え込んでしまっている方も少なくありません。

 

職場の問題なら労基に通報すれば良いですが、法律に裁いてもらう以前の問題としてハラスメントは犯罪である、という共通認識が社会に共有されることが何よりも効果があると私は考えています。みんなの目が、加害者の抑止力になるんです。

 

 

例えば殺人は犯罪であるというのは常識で、誰もがわかっているという前提があるからこそ、ドラマで殺人を描写することは成立します。「ああ、あれはドラマだから」と言えますよね。ハラスメントに対しては犯罪という考えが社会全体としてまだまだ足りず、「被害者も悪いんでしょ?」「しつけだよ」「加害者の言うことも一理ある」などという段階。

 

 

そういう意味で「ハラスメントの加害者一人が更生すれば良い、、、」(もちろんそれも大事ですが)というのではなく、ハラスメントが起きにくい社会構造をみんなで力を合わせて作っていくことが根本的解決方法ではないでしょうか。

 

そんなわけで今いまハラスメントに困っているわけじゃないあなたも、現在暴力に晒されて困っているあなたも、暴力にNO!と声をあげる一団としてもら研!に参画しませんか?あなたの声が誰かの励みになるはずです。月1〜2回イベント開催するので、ぜひ来てね〜〜!

 

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(太腿ムチムチやな、、、)

さて、第二回目のもら研!は『DVはなおる』をアクティブブックダイアローグ形式で読み解き、そこから参加してくれた皆さんで対話を広げていくという内容でした。テーマとしては加害者更生ですね。

 

著書の中で私が印象に残ったことを挙げていくと

 

  • DVは自己防衛のための稚拙な反応の一つである
  • DV加害者は「他人の評価を生きている」「自己肯定感が低い」「悪意がなく、暴力を正当化する」ような脆弱な自我しか持っていない
  • 日本でのDV加害者は野放しの実態がある。民事事件でしか処理できないということは、警察や司法が加害者を逮捕勾留できない。人を殴っても犯罪ではないのが日本の認識
  • 加害者の成り立ちとして、社会の権力構造がある。力のあるものが弱いものを動かすのが定石となっている
  • 家父長制度などによりDVは文化的に許容されてきた。ジェンダーバイアスの影響も有る
  • DVは社会問題と大きく関わるので”自分ごと”の問題として捉えられにくい
  • 脱暴力への支援として、加害者に自己防衛を必要としないよう強固な自我に成長させることが重要
  • 加害者が自分を弱者として自己受容することが鍵である
  • 様々な立場の人との対話により、生まれ直し、育て直しが更生に必須である

 

 

ここから出た参加者の問いや気づきとして、

 

  • 「自分は悪くない」という加害者の自己防衛反応の中で、どうやって自分の加害性に気づくのか。気づくことは可能なのか。
  • DVにまつわる法律の整備は急がれるが、法律以前にできることがあるのではないか
  • 他人の評価軸で生きる加害者なのにDVをするのは不思議。「お前はDVやってるだろ!」と他人から指摘されることは彼らをパニックに陥らせるのではないか
  • 自分の感情に気づくチャンスが普段あまりない。感情豊かに生きたい
  • 社会に横たわる権力構造やパワーコントロールに自覚的でありたい
  • 加害者のケアを被害者にさせるべきではない、という共通認識をもっと広めるべき 
  • 自分の行為に対して無自覚の加害者に対してできることは? 

 

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加害者も被害者の一人であることや、男性の被害者のケアが法律で前提となっていないことなど考えることがザックザクオーザックでした。

 

私としては日本の文化として暴力を許容しないためにも、

 

暴力=犯罪。イジメも犯罪。DVも犯罪という当たり前の認識を広げたいです。

 

今のままだと「被害者にも悪いところあるしね〜」「でも言うても離婚しないじゃん?」という含みを持った言い方として「イジメ」や「DV」があるように思えて仕方ないんです。犯罪の中のイジメ、DVなのであって、イジメやDVが犯罪とは別の何か〜というわけじゃない。単なる犯罪。このことをより声高に叫んでいく必要があると思ってます。

 

最後に、参加者の中には「自分は被害者だったこともあるけれど、加害者の一面もある」と認識されている方もいてまじ大人だなと感じました。暴力性のない人はいない。みんなにとって暴力はキモチイイもので、ざまあ〜wとか言いたいし、オリンピックだって野蛮な祭典だったわけです。

 

わかる、だからね、暴力性はSMプレイとかで昇華しましょうぞ。なんて平和!

 

 

さあ、自分の中の暴力性に自覚的でありましょう。

 

 

「感情的になるなんて子どもだ!」ではなく、たまには怒っても泣いてもイイじゃない。

 

 

弱い自分でもイイじゃない。誰と比べる必要もないんだから。

 

 

あなたが何歳でも生まれ直し、誰かを愛することでじぶんを育て直しましょう。

 

 

 

、、、そんな感じかな!それではまた!